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所得が上がっても(お金持ちになっても)、人の幸福度は上がらないワケと、洗濯機の故障との関係
こんにちは。
金融教育研究所の佐々木裕平です。
一般的に所得が増える(お金持ちになる)と幸福度が上がる、と思われがちです(たぶん多くの人はそう思っていると思われます)。
しかし経済学の先行研究では、(たぶん多くの人にとって)不思議なことに、所得が上がってもほとんど幸福度が上がらないことがわかっています。なぜでしょうか?
このように「こうなるはずだけど、逆になる(逆説)」ということをパラドックスというようです。
そのためこの「所得が上がっても、人間の幸福度が上がらない」現象を経済学では幸福のパラドックスといいます。
ヒントは壊れた洗濯機?
さて、私事で恐縮ですが、先日、洗濯機がちょっとした故障をしました。
洗濯ができません(笑)。
非常に困りました。
いつもは当たり前にあって気が付かない「幸せ」は、うまくいかなくなってから気が付くものだと思いました。
そのままでは困るので、ネットで調べて、なんとか修理完了!
再び動き出した洗濯機を見た瞬間はとてもうれしかったですね。
しかし、数日すると、あの嬉しさや洗濯機が動くことへの「幸せ」はほぼゼロになっていることに気が付きました。
これは誰だってそうだと思います。
電化製品や洗濯機などに毎日「ああ、これが使えて幸せ~」なんていちいち感動している人はいないと思います。
これはいったい、どういうことなのでしょうか?
じつはここに、経済学でいうところの幸福のパラドックスを解くカギがある、のかもしれません。
経済学の幸福のパラドックス(逆説の意:お金持ちになっても幸せにはなれない)は順応仮説で説明できる?
順応仮説とは、早い話が「その状態に慣れちゃって幸せを忘れちゃう」ということですね。
前述のように、経済学の先行研究では「所得が上がっても、数年もすれば幸福度に与えるその影響はゼロ近くになる」ことがわかっています。
また、所得が右肩上がりに上がっても、統計的に見ると、人々の幸福度はほぼ一定です。これは世界の先進国で多く確認されている現象です。
これが幸福のパラドックスというわけです。
で、それはなぜ?
その理由の一つが順応仮説「慣れちゃうから」ではないかと考えられています。
たとえどんなに年収が上がっても、仮に二倍になっても、幸福度はすぐに元に戻ります。
なぜ? 慣れちゃうからです。
先日、洗濯機の故障を体験し、洗濯機のありがたさと、洗濯機が普通に動くことの「幸せ」を感じた私の幸福度は、瞬間的には非常に高まりました。
でもその幸せはつかの間の幸せなのです。
そう! 人は「良い状況にはすぐに慣れる」のです。
これも経済学の先行研究で明らかになっています。
だから所得が上がっても、洗濯機が直っても、どんなに幸福になっても、一般的に見ると人はすぐに「普通の状態」に戻ってしまうのですね。
順応仮説や幸福のパラドックスは認知エラーなのか? いえいえ、それは生物に必要な力かも
じゃあ、そんな認知エラーをもっている私たちは、おそらく平均的に見ると、どれだけ所得が増えても幸福度が上がらない(上がってもそれはすぐに下がる)、となります。
つまり、私たち人間は「どれだけ幸福度を上げても、すぐに元に戻ってしまう」という傾向があるのですね。
これって認知エラー?
見方によってはそうかもしれません。
ですが、適応的市場仮説のような考えに当てはめると、認知エラーではないとも言えます。
生物に必要な「生きる力」なのですね。
この世界(野生含む)は、弱肉強食です。
仮に少しばかり良い状態になったとしても、次なる脅威(例えばコロナウイルス)がすぐ迫ってくるかもしれません。
そんな時にいつまでも「状態が良くなったから幸せ~。もう成長や変化なんていらな~い。勉強も努力も運動も、研究も仕事もどうでもいいや~」とのほほんと生活をしていては、その種は滅んでしまうかもしれません。
そうならないように、人間を含む動物は「幸せに満足しすぎないスイッチ」が入っているのかもしれません。
そのため、どこまで行っても
- 常に技術や化学の向上を目指す(ことが楽しいスイッチ)
- 常に知識の増大を目指す(ことが楽しいスイッチ)
- 常に所得を増やしたい(それが楽しいスイッチ)
があるのかもしれません。
幸せに浸りすぎると、かえって不幸になるかもしれませんし、
また、利益や成果、結果だけを追い求めても不幸になるのかもしれません。
じつに難しく、しかしそれゆえにこの世界は楽しいのかもしれない、と思う今日この頃でした。
経済学って楽しいですね。
それではまた。