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平均回帰性とは
こんにちは。
金融教育研究所の佐々木裕平です。
資産形成では金融経済学という分野が重要です。
その中には、リスクに関する考え方も進んでいます。
リスクとは標準偏差として表すことができる
投資ではリスクを標準偏差として数値で表すことができます。
そしてその標準偏差は、通常、グラフ上では釣り鐘型になります。
面白いのは、利得側も、損失側も、想定される期待リターンの確率密度が最も高いところを中心として、左右がほぼ対象になる、というところです。
これはつまり、値動きの損得が、同じように発生するということです。
統計的に見た場合であり、短期的に見ると、当然そんなことはないのですが。
そして、金融商品は未来のサプライズニュースによって決定されます。
良いニュースなら値上がり、悪ければ値下がり、という具合です。
また、当たり前ですが、ニュースは法則性がなく、でたらめに発生します。
ニュース、というか、世界のできごとは独立してるのですね。
しかし、そのニュース≒株価などの値動きは、統計的に表すと、釣り鐘型の標準偏差になります。
世の中、禍福は糾える縄の如し
私の好きな言葉、ことわざのなかに、禍福は糾える縄の如しという言葉があります。
これは、良い・悪いニュースは、編み込んだ縄のように、交互に、五分五分に出てくる、という事を意味しています。
そして、統計を取ると、そうなるだろう、と思われます。
独立しているニュース・世の中の出来事なのに、なぜ、良いことと悪いことが半々なのでしょうか。
それは、世の中のもう一つの特徴、平均回帰性に理由があるのかもしれません。
さやえんどう然り、株価然り、景気動向然り、バッターの打率然り、人類の平均身長然り、サイコロ然り、
およそ独立して動く物事は、でたらめ(ランダム・ウォーカー)なのに、グラフ上は釣り鐘型になります。
それと同時に、悪ければ、平均へ戻り、良ければ、平均へ戻る、という不思議な性質があります。
そのため、この世の中の株価、動植物、バッターの成績などは、延々と良く・悪くなり続けたり、延々と大きく・小さくなり続ける、ということがありません。
もしなれば、ミクロのさやえんどうや、巨人が生まれてしまいます。しかし、そうなりません。
独立して動く物は、平均に帰る性質がある、統計学やリスクでは、そう考えられています。
そして、これは人生にも同じなのかもしれません。
もしもいま、ひどい状況にいる人、すごく恵まれた状況にいる人、がいた場合、それは一時的なものであり、やがていつもの日常へと戻っていくのかもしれません。
悪い状況の人は、あきらめず。
良い状況の人は、慢心せずに次に備える。
投資も人生も長期で分散(この場合は、生き続けること、生きることが、サイコロを振ることになるのです)することが重要なのかもしれません。
それではまた。