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渋沢栄一先生の関わった企業や設立企業はおよそ五百社? 慈善事業も数百?
下の画像は、筆者が東京証券取引所へ行った時に撮影したものです
日本で資産運用をするとなると、多くの人は東京証券取引所で株式の売買をすると思います。
また、投資信託をするにしても、国内株式の投資信託の場合は、やはり間接的に東京証券取引所にお世話になっていることになります。
そして、この東京証券取引所の設立関係者の一人が渋沢栄一先生、ということです。
渋沢栄一とは? 近代日本経済のお父さん
数年後には紙幣のデザインが一新されるという報道がありました。
そして、その一万円札の肖像に描かれるのが渋沢栄一先生です。
渋沢先生はざっくり180年くらい前に生まれて、90年くらい前に亡くなりました。
亡くなった年齢が92歳ということですから、その時代の男性としてはずいぶんと長生きだったのではないかと思います。
さて、この渋沢栄一先生がなぜ一万円札の肖像に描かれることになったのか、筆者も当初は不思議でした。
というか「誰それ?」という気持ちでした。
渋沢栄一先生の関わった企業・作った会社 一例
筆者は現在渋沢栄一先生の出てくる小説をいくつか読んでいるのですが「そんなにいろいろできる人間いるの?」という印象です。
たとえば、
- こどものころから家業を手伝い、商才があった 剣術も得意
- 若いころ、お城を乗っ取って、横浜を焼き討ちにしようとした(未遂)
- 徳川昭武の随員としてちょんまげに刀二本差して、ヨーロッパで二年半ほど過ごした
- 初期のお札を作るところのトップを務めた
- いわゆる商工会議所を始めて作った
- 日本で最初の銀行を作った(当時はバンクに当たる銀行という言葉もなく、金行にしようかという案もあった)
- いまでいう財務省のトップになって、いろいろな税制を作った
- 東京ガス・王子製紙・東京海上火災保険・秩父セメント・帝国ホテル・キリンビール・サッポロビールなどなどの設立にかかわる、ものすごいたくさんあるようです
ほんのちょっとだけでも「そんなこといっぺんにできる人間いる?」という感じがします。
どれか一つだけでもやり遂げるだけで大偉業というところです。
小説を読んだだけでも、この渋沢栄一先生がいなかったら、江戸時代から明治への近代化はずいぶんと遅れていただろう、と思わされます。
実業界だけでなく、社会貢献活動もスゴイ。
慈善事業にも多く携わっています。
- 日本赤十字社
- 東京慈恵会
- 聖路加病院などなど
渋沢栄一先生の良いところは、自分のもうけを最優先しなかったところだと思います。
実際、しばしば利益第一で事業を起こそうとする人と口論をしています。
何事も思いやりをもって行ったので、自然と人が集まってきたり、頼られたり、任されたりしたのだと思います。
筆者も金融教育を行う時には、世のため、人のためになるように、より一層心がけていこう、と背筋が伸びる気持ちになりました。